MG MS-18Eケンプファー(ジョニーライデン機) 2003年9月

ジオン公国軍屈指のエースパイロットである、「真紅の稲妻」ジョニー・ライデン少佐はキマイラ部隊として他の多くのエースパイロットと共にア・バオア・クー攻防戦にMS-14ゲルググで参加し、その最期は消息不明とされている。

だがこの作戦後のジョニー・ライデン少佐の消息については様々な異説がある。戦闘の最後まで生き残り、戦後一般市民として暮らしたという説や、他の多くの将兵と共にアクシズに向かったという説、偽名を使い連邦軍の捕虜となったという説などがあるが、どれも推測の域を出ないものである。しかし、このような噂が戦後も後を絶たないという事は、いかにジョニー・ライデンというパイロットが人気があったかという事を表しているとも言えよう。

数多くのア・バオア・クー攻防戦におけるジョニー・ライデン少佐の噂の中でも、この噂については戦後最も反論も多かったが、少数ながら目撃者がいたという点が他の噂とは違う。しかし他の多くの説と同様に証拠が無く、目撃証言も伝聞を基にしているので不確実とされている。その噂とは「ジョニー・ライデン少佐がケンプファーに乗っていた」という噂である。

MS-18Eケンプファーは「サイクロプス隊」で使用された機体が一機確認された他は実線で使用された機体は確認されていないが、ア・バオア・クーの複数のMS整備兵が真紅に塗装されたケンプファーを目撃したという証言が非公式に伝わっている。

その整備兵によればジョニー・ライデン少佐はキマイラ部隊を率い、キマイラ部隊旗艦ザンジバル級「キマイラ」他、複数の母艦から出撃した。この時点では同部隊の全てがゲルググタイプのMSを使用している。エースパイロットを集め、最新鋭のゲルググを使用したキマイラ部隊は戦闘開始当初から中盤にかけて、その技量を存分に発揮し担当宙域の連邦軍を圧倒し、一時的に一部連邦軍部隊を後退に追い込む程であったが、ギレン総帥の戦死と、それによる一時的な混乱によって戦況が一変する。連邦軍第十三独立艦隊が突破口を開き連邦軍が全面攻勢に転じるのである。その影響はキマイラ部隊の守備する宙域にも波及しキマイラ部隊は戦線を支えきれなくなる。ジョニーライデン少佐も数度母艦のキマイラに帰還し、機体の補給作業をしているが、最後に母艦に戻った時にはゲルググの左腕前腕部分を失っていたという。キマイラ部隊が何度目かの補給を行い、出撃した後、母艦キマイラ以下キマイラ部隊の全艦船は全滅する。ここまでが公式に伝わっているキマイラ部隊の情報である。

戦後の複数の証言によると、ジョニー・ライデン少佐以下のキマイラ部隊MSは母艦を失った後、要塞内で補給、修理を受け数度の出撃を繰り返すが、キシリア少将の戦死により戦況が悪化。キマイラ部隊も壊滅的打撃を受ける。

要塞内に戻ったジョニー・ライデン少佐は残存部隊を結集させて要塞から脱出し、サイド3もしくはグラナダに退却する事を決意する。その際に損傷したゲルググに代わり要塞内に密かに秘匿されていたケンプファーを使用したという。要塞内にはジオング他試作機が複数持ち込まれていたのは確実なので、ケンプファーが一機運び込まれていてもおかしくはないと言える。

残存艦艇の一部とMS部隊をかき集めて要塞を脱出したライデン少佐の率いる混成部隊は、当然のごとく連邦軍の追撃を受けるが、キマイラ残存部隊以下のMS部隊の活躍で数度の追撃をはね返したらしい。しかし執拗な追撃により部隊は壊滅的な損害を受け、一部は降伏し、ごく一部は連邦の追撃を振り切ったという。そこにジョニー・ライデン少佐の赤いケンプファーがあったかどうかは不明である。

なお連邦側にはそのような戦闘記録は存在しない。

 

以上 民明書房刊 「一年戦争の真実」より抜粋

ケンプファーをジョニーライデンカラーを想定して塗装

シルバー→クリアレッドの順に塗装して最後にクリアーをエアブラシで吹いた

チェーンマインやら武器が多くて作るのが嫌になった

合わせ目が消しきれてなかったりパーツの淵が塗装できてなかったり

色々と問題点もあったのでそのうち再チャレンジしたい